有田焼 八右衛門窯 金襴手古伊万里鳳凰文 取皿同色2枚組
日本を代表する陶磁器工芸品「有田焼」の古伊万里鳳凰文を施した、取皿セットです。
現在、七代目の歴史ある有田の八右衛門窯による作品です。
絢爛豪華な、縁起の良いおめでたい絵柄。
普段使いはもちろん、お正月などのお祝いの席にもおすすめしたい器。
贈答品・記念品としても重宝されます。
古伊万里の伝統デザインを現代に引き継ぐ古伊万里鳳凰文によるデザイン。
金襴手は、元々は、金彩文様のある色絵磁器のことで、特に中国明代には白磁五彩地に、さらに金箔文様を焼き付ける絢爛たる装飾法が流行しました。
この金襴手は江戸時代の中期、18世紀に日本で大いに愛好されるようになり、一世を風靡し、伊万里焼もこの金襴手に倣って独自の金襴手を作り上げたといわれています。
鳳凰文は、中国古代の想像上の瑞鳥(ずいちょう)。鳳凰は麒麟、亀、竜とともに四霊の一つに数えられ、おめでたい鳥と考えられています。また、平和の象徴といわれています。
その他に、松竹梅、牡丹、菊、七宝文と言った縁起の良い装飾・文様が施されています。
日本磁器発祥の地、有田焼
有田焼とは、現在の有田町やその周辺で生産された磁器の総称で、江戸時代には、有田皿山で作られた製品が伊万里港から積み出されたために「伊万里焼」または「伊万里」と呼ばれました。豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄の役(1592)・慶長の役(1597)の後、朝鮮半島から多くの陶工達が渡来、彼らによって日本の各地で次々と開窯されました。
とくに有田では17世紀初頭に有田泉山で良質の磁器原料が発見され、日本で最初に磁器が焼かれたところです。
その後、寛永14年(1637)に鍋島藩が伊万里・有田地区の窯場の統合・整理を敢行し、現在に知られている有田皿山の体制を整えていったのです。
古伊万里様式
肥前有田で江戸期に生産された、濃い染め付けと、金襴手と呼ばれる赤や金の絵の具を贅沢に使った模様であり、当時有田焼の中でも特に豪華で価値のある様式。
この名称は、これらの磁器が有田に隣接する伊万里港から積み出されたことに由来しており、“古伊万里”と呼ばれる骨董品の多くは有田の地で作り出されたものを指しています。
1650年から約100年もの間、ヨーロッパに輸出された豪華絢爛な古伊万里様式は、貴重品として扱われ、王侯や貴族を魅了しました。
[出典]ジュピターショップチャンネル